ヨーロッパの戦争と文明/第10回(5月20日・木曜3限)
中世ヨーロッパと騎士の世界(前半)
(※ページの画像がうまく読み込まれない場合は、再読み込みすると、ちゃんと表示されると思います)
今回からヨーロッパの中世という時代に入ります。
本日は、中世ヨーロッパ社会と、そこで活躍した「騎士」たちの話です。
歴史の話が、少し多いです。
1.中世の封建制度について
ヨーロッパの中世という時代は、
古代ローマ帝国の時代が終わる5世紀(400年代)くらいから、
ルネサンスや宗教改革が始まるおおよそ15~16世紀(1400年代~1500年代)前後
くらいの間の、約1000年間を指しています。結構長いですね。
次の図は、第2回の授業の際にも記したものです。中世の部分を赤く強調してあります。
この「中世」という時代を特徴づける言葉は、「封建制」と「キリスト教」です。
「封建制」(または封建制度/Feudalism)とは、簡単に言ってしまうと、
もっぱら武力などによって、ある土地を獲得した支配者たちが、
領主としてその土地とそこに住む住民(農民)を、力で一方的に支配するシステムのことです。
その際、支配者たちの間でも上下関係、すなわち主君と臣下の関係が形成され、
臣下は主君に忠誠を誓い、主君のために働き、戦います。
その代わりとして主君は臣下に土地を与え、その土地を支配させます。
封建領主たちは城を建ててその土地を支配した(フランス・タルタロンヌ城、2014.8.16)
この様なシステムは、いろいろなヴァリエーションを伴いながら、
中世という時代に、ヨーロッパ各国、あるいは世界のあちこちの文明で多かれ少なかれ見られました。
日本でも、鎌倉から江戸までの、武士が社会を支配した時代は、封建制度でした。
江戸時代では、徳川将軍が頂点に立ち、
その下にいる諸国の大名や幕府の重臣たちと主君・臣下の関係を取り結び、
大名はさらにその下に自分たちの家臣をたくさん持つ、という風に、
幾重にもこの上下関係が取り結ばれ、そうした武士階層が、
人口の大部分を占める農民や商人や町人たちをガッツリと支配しました。
ヨーロッパでは、一番上に立つのは、皇帝やそれぞれの国の国王たち。
その下に、臣下として「公爵」「伯爵」「男爵」といった領主・貴族たちがいて、
さらにその下に、地方の中小領主(貴族)たちが続く、という形で支配者層を形成します。
しかし彼らは人口としては、ひとつの国のごくわずかに過ぎず、
大部分の人口(95%以上)を占める農民や商人たちを、
力ずくで、一方的に、問答無用で支配しました。
封建制度で特徴的なのは、こうした支配・被支配の関係、上下の身分は、
原則として世襲によって固定されていて、多くの場合、変更は容易ではなかったということです。
領主・貴族の子供は何代続いても領主。農民の子供は何代続いてもずっと農民です。
領主の住んだ城(ラ・カーズ城、フランス・ロゼール、2018.6.13)
こうした領主・貴族たちは、自分が支配する土地やそこに住む農民たちを、
ことあるごとに、徹底的に、搾(しぼ)り取れるだけ搾り取りました。
あらゆる機会を捕まえては、可能な限り、搾り取りました。
農民たちは、生まれた時、結婚した時、死んだ時、収穫があった時、
小麦をひくために水車を使う時、パンを焼く時、村のどこかを通行する時、
そのほか人生の、生活の、あらゆる場面で
領主に税金を取られたり、食べ物や家畜やぶどう酒を収めされられたり、
領主の土地での労働をさせられたり、城や領主の館の建築や修理にかり出されたりしました。
農民たちは領主には逆らえません。
拒否したり逆らったりしたら大変です。罰せられたり、あるいは処刑されたりします。
問答無用の世界です。
領主たちは基本的に、自分の支配する土地の農民たちがどんなに生活が苦しくなっても、
病気になろうが、死のうが、基本的には関係ありませんでした。
税を取り立てられる限り。
中世の農民たちの畑仕事
こうした身分差別と領主の権力を象徴するものに、悪名高い「初夜権」があります。
領主は、自分が支配する農民が結婚する場合、夫より先に新妻と最初の夜を共にすることが出来る
という、今の時代から見るとメチャクチャな支配権です(ただし多くは俗説だっという見方もあり)。
モーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」は、それにまつわるストーリーですね。
そんな世の中が1000年も続いたわけです。
そりゃあ、18世紀になって革命が起こるはずです。
フランス革命で貴族や国王がギロチンにかけられるわけです。
やりたい放題し放題の1000年を、農民たちの苦しい生活の上に
ドップリとあぐらをかいて、安楽に暮らしてきたわけですからね。

フランス革命。「ベルばらカルタ」より(笑)
さて、ヨーロッパの中世で忘れてはいけないのは、
そうした封建制や身分制度を、ガッツリと支えていたのが
キリスト教会だったということです。
農民たちや都市の住民たちは、自分が住む地域の教会にも税金を
払わなければなりませんでした(教会十分の一税)。
しかしそれと共に、キリスト教の教会は、封建制と身分制度という社会の制度そのものを、
政治的にも、経済的にも、精神的にも、文化的にも支え続け、言わばお墨付きを与えてきました。
その代わり、教会は領主や貴族から政治力や武力で守ってもらっていたのです。
政治的な支配者たち(皇帝や国王や貴族たち)と、教会・聖職者たちは、
お互いにお互いを支え合って、1000年もの間、社会を支配し続けてきたわけですね。
フランス革命の時代の風刺画。
第三身分(庶民)の上にドップリと乗りかかって支配する聖職者(左)と貴族(右)。
2.騎士とは何か
さて、以上のような中世において、大きな役割を果たしたのが「騎士」たちでした。
先ほどの話の繰り返しですが、
中世の支配階級である領主は、格(ランク)や支配する土地の規模によって、
次のように分けられました。
A.大規模領主/広大な領地を支配する大諸侯たち(公爵や伯爵たち。領域的諸侯とも言う)
B.中規模領主/複数の村々を支配し、城に拠点を置く城主たち
C.小規模領主/村ひとつ程度を支配した村落領主たち
国王は、この中で、上の「A.大規模領主」の中の、形式的には
ランクの一番高い領主ということになります。
こうした大・中・小の領主たちが、モザイクのようにそれぞれの国や地域を支配していました。
「騎士」とは、主君と主従関係を結んで軍事的奉仕をする戦士階級です。
英語では「ナイト」(knight)、フランス語では「シュヴァリエ」(chevalier)、
ドイツ語では「リッター」(Ritter)、ラテン語では「ミレス」(miles、複数形はmilites)。
いずれも「騎馬で戦う戦士」(馬に乗って戦う人)を意味します。
中世の最初の時期(700~800年代)は、「騎士」というのは、
単に「身分の低い軍事的な従者」を指しました。
ところが、中世も中期(900~1100年代くらい)には、
「高度な騎馬技術を駆使する戦士」というイメージとなり、
「貴族」と同じような意味で用いられるようになりました。
この頃には、上の区分の「B.中規模領主」たちが、
自分の支配地に拠点となる城を建設し、
その周囲の領域(村や人)を、城主として支配しました
(城を中心としたこの支配領域のことを専門用語で「シャテルニー」と言います)。
「騎士」はそうした城主の家臣たち(あるいは城主自身)、
さらにその下の村落領主たち(またはさらにその家臣たち)となりました。
そして彼ら「騎士」たちは、主君である城主のために働いたのです。
その後、12世紀(1100年代)中頃には、「騎士」は、上は国王から下は小規模領主まで、
貴族階級(支配)全体を指す総称となりました。
つまり、上は国王陛下から、下はヒラの下っ端の小貴族まで、
みんな「騎士」となったのです。
馬に乗り、剣を持った「戦う戦士」という名誉ある身分称号となったのです。
例えば日本で、上は徳川将軍から、下は田舎の貧乏なサムライまで、
身分としてはみんな「武士」というのと同じですね。
ただし、1500年代頃から、火器(銃や大砲)が広まり、馬に乗って戦うという
騎士の本来の軍事的役割は消滅に向かいました。
どんなに勇ましく馬に乗って戦っても、銃や大砲にはひとたまりもなくなったのです。
そしてその後、「騎士」とは、単なる純粋に貴族的な称号になってしまいました
(イギリスでは今でも「ナイト」の爵位があります。
フランスでも名誉称号という形では残っています)。
3.騎士になるには
「自分は騎士になりたい!」と思っても、誰もが騎士になれるわけではありません。
身分制度がガッツリ固定されている中世封建時代ですから、家柄・血筋が決定的に重要です。
騎士には、原則として貴族(大貴族~小貴族)の家系の子弟しかなれませんでした。
農民が今日から騎士になる、なんてことは、
普通はあり得ません(わずかな例外もあったようですが)。
しかも、多くは騎士の「長男」だけが「騎士」になれました。
子供の頃から主君の下に仕え、10代で騎士の初歩的技術や
武具の手入れなどを学んで、「従騎士」となります。
たいていは父親の主君の家で見習い期間を過ごしました。
この見習い期間に「騎士道」の掟なども教え込まれました。
20歳を過ぎると、「騎士叙任式」をへて、正式な「騎士」となりました。
そしてその後は、父親の領地、城、村の領主権を継いでいったのです。
「騎士叙任式」の基本は次のようなものです。
まず騎士となるものは、主君の前にひざまづいて頭を垂れます。
そして主君に仕えること、主君の家臣・従者となることを誓います。
次に武器(剣やよろい、カブト、槍、馬具など)が与えられ(帯刀式)、
最後に主君が、ひざまづいた彼の肩を、長剣の平(または拳)で叩くのです
(刀礼/肩打ち儀礼/Accolade, adoubement)。

騎士叙任式における肩打ち儀礼 主君が女性(例えば女王など)の場合も
12世紀(1100年代)頃になると、いよいよキリスト教会の介入が始まります。
「騎士叙任式」に、教会(司祭)が清め、祈祷(ミサ)、
祝別などの典礼儀式を付け加えるようになったのです。
騎士の側も、主君と共に、教会と神への信仰を守り、保護し、
そのために戦うことを誓いました。
「私は、終生、誉れ高きわが主君であるあなた様への忠誠を誓い、
命をかけてあなた様のために戦います。
そしてまた神の教えに忠実に、神聖なる教会を守り、教会のために戦います。
どうか神のご加護を。アーメン。」
みたいな感じでしょうか。

騎士叙任式。中央で手を合わせているのが教会の聖職者。
4.騎士のお仕事
①戦争
騎士のお仕事の中で最も重要なものは、もちろん「戦争」です。
命をかけて戦います。手柄を立てて勝ったら、主君から恩賞をもらえるかも知れません。
たとえ戦死しても、跡継ぎがいれば、
息子が自分の家門と領地と城と権力を継いでいってくれるでしょう。
跡継ぎがいない場合は、それらをすべて失うかも知れません。
なので、日頃から自分の跡継ぎを作ることに心を砕きました。
これは日本の武家も同じです。
「戦争」は騎士のお仕事。(パリ、アンヴァリッド軍事博物館、2009.2.27)
②主君に対する義務と奉仕
なんと言っても、主君に対する忠誠と奉仕は騎士のお仕事の基本です。
以下のようなものがありました。
主君への忠実な奉仕、軍事的な援助。
主君が行う戦争や遠征、十字軍への参加。
主君の領地支配の補佐。
主君の城の守備。
主君が戦争で捕虜になった場合の身代金の支払い。
主君の相続人(長男)の騎士叙任式への参列や費用負担。
主君の長女の結婚式への参列と費用の負担。
主君の身代金の支払いとか、娘の結婚式費用の負担とかもあって、
騎士のお仕事も大変ですね。
支配する農民からは搾り取れるだけ搾り取りますが、
逆に、主君からも搾り取られるわけです。
③自分の領地の支配と管理
領主として自分の城や領地の管理を行い、税を搾り取り、
農民たちを支配し、治安を維持し、
罪を犯した者の裁判をするなど、日頃から封建的支配者としての役割もありました。
また、主君の家臣として、主君の領地支配の管理業務なども
しなくてはなりませんでした。
④騎行
上の③の自分の領地と農民の支配、ということと重なりますが、
日頃からこまめに自分の領地を馬に乗って巡回しなくてはなりませんでした。
これを「騎行」と言います。
そうやってあちこちを「騎行」する自分の姿を見せつけることで、
支配する農民を威嚇する必要がありました。
「いいか、オレ様はこうやっていつもおまえら農民をしっかり監視して、支配してるんだぞ。
サボッたりせずに、ちゃんとおとなしく言うことを聞いて農作業して税を払えよ。
変なことを考えたり、逆らったりしたら、大変な目に遭うぞ!」
てな感じですね。やれやれ、です。
しかしこの「騎行」は、自分の領地でだけ行なうものではありません。
近隣の敵対する領主の領地の村々や街を荒らし回ることも含まれました。
こうなるともう、単なる略奪・強盗と同じですね。
でもこれもまた騎士の立派なお仕事のひとつでした。
やれやれ、です(笑)。
⑤騎馬試合(トーナメント)
これは、騎士による腕比べのイベント、今ふうに言うと一種の命がけのスポーツ大会です。
でも、自分の勇気と武勇、戦士としての技量を、他の騎士たちや主君とその奥方たちに
アピールできる恰好の機会でした。
勝者には、栄誉、賞金、馬・馬具・武器、敗者の身代金や没収した武具を売った現金
などが手に入りました。これはもう、立派な騎士のお仕事のひとつですね。
騎馬試合(トーナメント)。馬に乗った騎士が正面からぶつかって槍で突き合う。
画面の奥では、主君やその奥方、姫たちなどが試合を見物している。
11~13世紀は、大人数(時には数百人)の騎士たちが、
複数のグループ(集団)に分かれて乱闘するものが多かったようです。
14世紀以降は、二人の騎士が正面から対決する馬上槍試合が多くなりました。
よりいっそうイベント的・お祭り的となりました。
現代の騎士のイメージ。 ゲント(ベルギー)の歴史祭りで騎士に扮する若者。
映画『スターウォーズ』のジェダイの騎士。
衣装はまるで中世の修道士そのもの。
第10回目の授業の「前半」はここまでです。
「後半」は、ヨーロッパの騎士道と日本の武士道についてです。
| →第10回 中世ヨーロッパと騎士の世界(後半)に続く |
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