ヨーロッパの戦争と文明
第14回(6月3日・木曜3限)/騎士団の活躍        
(※ページの画像がうまく読み込まれない場合は、「再読込み」するとちゃんと表示されると思います)
★今回は、前半と後半には分かれていません★

□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【年表】
1096-1099年  第1回十字軍(1099年にイェルサレム占領)
1147-1148年  第2回十字軍(帝王十字軍とも呼ばれる)
1189-1192年  第3回十字軍(サラディンに敗北、イェルサレム陥落)
1202-1204年  第4回十字軍(コンスタンティノープルの占領とラテン帝国を建国)
1217-1221年  第5回十字軍(エジプト・カイロ攻略失敗)
1228-1229年  第6回十字軍(あるいは第5回十字軍。イェルサレム統治権獲得)
1248-1249年  第7回十字軍(フランス国王ルイ9世が捕虜となる)
1270年     第8回十字軍(フランス国王ルイ9世、遠征途上で死)
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


1.騎士団とは何か                           
「騎士団」とは通常まず何よりも、十字軍の際に結成された「修道騎士団」のことを指します。
「修道騎士団」とは正式には教会用語で
「騎士修道会」といいます。
英語では« Military religious order»、フランス語では« Ordre religieux militaire»、そして
ドイツ語では« Geistliche Ritterorden»です。

文字通り「騎士」たちの「修道会」であり、その「騎士」たちは戦う戦士であると同時に
「修道士」なのです。
俗界で戦うの騎士(戦士)と、聖界であるキリスト教の修道士が合体した
「戦う修道士たち」の団体です。
本来は「騎士」と「修道士」は異質な身分ですが、十字軍の時代に両方の身分を兼ね備えた
「修道騎士」が生まれました。
非常にわかりにくいですが、例えば日本の歴史で言うところの「僧兵」に相当するでしょうか。
武装して戦う坊主たち、ですね。
十字軍の時代である12世紀~13世紀に、騎士修道会すなわち「騎士団」が続々と結成されました。
中でも有名なのは
「テンプル騎士団」「聖ヨハネ騎士団」、そして「ドイツ騎士団」です。
今回は、このうち前の2つ「テンプル騎士団」と「聖ヨハネ騎士団」を取り上げます。

騎士団の騎士たちは、修道士として教会に対して誓いを立てた者です。
したがって、私有財産は持てません。一生独身です。
神のための祈り、清貧・貞潔・服従・犠牲といった美徳を固く守りました。
そして武器を取って、異教徒たちと戦ったのです。

その後、14世紀になって十字軍の時代が終わった後は、騎士の軍事的な役割は弱まり、
むしろ世俗の戦士(騎士)身分の名誉職的な組織になっていきます。
なので14世紀以降の世俗の騎士団の構成員は「修道士」ではなくなります。
有名なところでは、
イギリスのガーター騎士団(1348年結成)、
フランス・ブルゴーニュの金羊毛騎士団(「トワゾンドール」1430年結成)などがあります。
これらの騎士団の騎士になるということは、実際に武器を使って戦うというよりも、
誉れある名誉身分というステイタス・シンボルを手に入れる、ということになります。

この後者の「金羊毛騎士団」は、形だけ今でも残っていて、例えば今のスペイン国王フェリペ6世
国王であると同時に「金羊毛騎士団員」です。
いろいろな歴史的経緯があって、スペイン国王は代々この騎士団員の身分を
受け継ぐことになっています。
なので、なんとフェリペ6世の娘のレオノールちゃん(このままいくと将来はスペイン女王)も、
女の子だけど「金羊毛騎士団員」となっています。
下の写真を見ると、2人とも「金羊毛騎士団員」の勲章を
胸に(お父さんは首のところに)付けています。
騎士団員になったからと言って、レオノールちゃんが武器を取って戦うわけでは、
もちろんありません。もちろん修道女でもありません。
 
現スペイン国王フェリペ6世        娘のスペイン王女レオノール(2018年、13歳)



2.テンプル騎士団                           

さて、十字軍の時代の「騎士団」の話です。
繰り返しになりますが、
「騎士団」とは、十字軍の際に従軍して戦った騎士たちの組織です。
騎士たちが単に集まっただけというものではありません。
十字軍に従軍した騎士団の団員騎士は、
「修道士」でなければならないのです。
なので正確には十字軍騎士団は
「騎士修道会」と言います。

騎士団にはいろいろありますが、中でも「テンプル騎士団」は特に有名です。
もともとはヨーロッパからイェルサレムに向かう
巡礼たちの保護のための活動をしていました。
1119年に正式に修道会組織として設立され、教会から認可されました。
イェルサレムの古代ソロモンの神殿(テンプル)がかつてあった場所近くに本部を置いたので
「テンプル」騎士団という名前になりました。

テンプル騎士団。白地に赤い十字がトレードマーク。



最初は巡礼の保護活動を中心としていましたが、そのうち、十字軍の軍事活動における
主力を担うようになります。
「十字軍の戦い」イコール「テンプル騎士団」といったようなイメージさえあるほどです。
しかし軍事的な活動にとどまらず、莫大な資金を集め、
国際金融業のような活動まで始めました。
巡礼が現金を持って旅するのが危険なので、
手形のようなものを発行して、
イェルサレムに到着して現金化するといったこともしました。
そしてヨーロッパ各地に拠点となる
基地(コマンドリー)をたくさん築きました。
この「コマンドリー」には騎士たちの住居、城塞、礼拝堂、倉庫などが備わっていました。

 
南フランスに残るテンプル騎士団の拠点のひとつ「ラ・クーヴェルトワラード」(La Couvertoirade)
右側はその平面図。「10」は騎士たちの城、「7」は騎士たちが礼拝をしていた教会。



こうしてテンプル騎士団は、豊富な資金、土地、強大な兵力、
そして教皇から与えられたさまざまな特権など、
かなりの政治力、経済力、軍事力を持つに至ります。

ところが1307年10月13日、
フランス国王フィリップ4世は、ローマ教皇の後押しも受けて、
突然一斉にフランス国内の
テンプル騎士団員を逮捕します。そしてテンプル騎士団を壊滅させます。
テンプル騎士団が悪魔に心を売り渡して異端になったというのが表向きの理由でした。

しかし本当の理由は、今でも諸説あってよく分かりません。
テンプル騎士団の政治的・経済的・軍事的な力を自分に対する脅威と感じたからだとか、
あるいはテンプル騎士団の持つ
莫大な資金を手に入れるためだったとか。

国王にすれば、自分が支配する王国の中に、
強大な経済力と軍事力を持つ別の組織(しかも必ずしも自分の意のままにならない)
が存在するわけです。王国のあちこちに、その基地・拠点(コマンドリー)もあります。
それはそれは、なんともジャマな存在だったとも言えるでしょう。

とにかくテンプル騎士団の最高幹部は捕まって、パリで火あぶりの刑に処せられました。
ちなみに現在のカトリック教会は、このテンプル騎士団弾圧が、
完全に冤罪であったことを認めています。
火あぶりになるテンプル騎士団の幹部たち




3.聖ヨハネ騎士団(マルタ騎士団)                    

テンプル騎士団とともに有名なのが、「聖ヨハネ騎士団」です。
11世紀中頃「ラテン人の聖母マリア修道院」がエルサレムに作られ、巡礼たちの保護活動を行いました。
このあたりはテンプル騎士団とよく似ています。
聖ヨハネ騎士団に特徴的なのは、とりわけ
「病院」活動に力を入れるようになったことです。
キリスト教では、病院の守護聖人がキリストに洗礼を施した「洗礼者・聖ヨハネ」でした。

イェルサレムには「聖ヨハネ病院」が作られ、
十字軍によって建国されたイェルサレム王国の国王や教会関係者たちから
多くの寄付も受けました。土地、戦利品、金品、免税特権などです。

1113年、ローマ教皇パスカリス2世は、聖ヨハネ病院を独立の修道会として認可し、
会則を与え、教皇直属の保護下に置くことを宣言しました。
この病院では、病人の身分階級に関わりなく王侯貴族から貧しい農民まで、
全く差別無く愛情を持って献身的に看護したと言われています。
  
最初の病院長(総長)ジェラールの看護の様子。  第2代総長レーモン・デュピュイ


1120年以降は、第2代総長レーモン・デュピュイのもとで、純粋な病院活動だけではなく、
武力を持ち、軍事的な活動も始めます。
そしてこの頃から
聖ヨハネ病院騎士修道会(聖ヨハネ病院騎士団)となって行きます。
13世紀にこの騎士団が作った城塞
「クラック・デ・シュヴァリエ城」はよく知られています。

聖ヨハネ騎士団の建設した「クラック・デ・シュヴァリエ城」(シリア)


「クラック・デ・シュヴァリエ城」平面図


聖ヨハネ騎士団は、それでもやはり
基本は病院活動です。
巡礼路・十字軍進路の要所要所に病院を設置しました。
修道会は、総長のもとに厳格な組織され、
規律と秩序が重視されました。
14世紀にはヨーロッパ各地に土地・不動産を所有し、それは1万9千カ所とも言われます。
十字軍兵士や巡礼に融資するなど、金融業的な活動もしました。
中には聖ヨハネ騎士団に金を借りる国王もいたほどです。
でも、テンプル騎士団のように弾圧を受けることはありませんでした。
いったいなぜでしょうか? やはり基本が医療活動だったからでしょうか?


十字軍の衰退とともに、聖ヨハネ騎士団もイェルサレムから離れていきます。
14世紀初めには、
ロードス島(ギリシア)に移ります。
別名
「ロードス騎士団」と呼ばれるようになります。
しかし1522年に、スレイマン大帝のオスマン・トルコ帝国軍に攻められてロードス島を退去しました。
1530年、今度は神聖ローマ帝国(ドイツ)皇帝カール5世から、
マルタ島を与えられます。
それ以来、
「マルタ騎士団」とも言います。
マルタ島ヴァレッタ


しかし1798年になると、今度はフランスのナポレオンにマルタ島を奪われてしまい、
この島をまたまた退去することになってしまいました。
これはもう、まるで
「さまよえる騎士団」ですね。



現在「マルタ騎士団」は、イタリアのローマに建物の一棟をを保有して、
やはり医療活動や慈善活動をしています。
今でも存続しているんですね。
団長以下、およそ7400人の団員がいるそうです。
「国土なき国家」として独自の憲法、政府機構を備えており、
独自のコイン、切手、パスポートを発行しているそうです。
900年も前の騎士団の伝統が、今だにまだ脈々と続いているのですね。
ホームページもあるので、興味のある人は見てみて下さい(英語です)。
マルタ騎士団(ORDER OF MALTA)

現在マルタ騎士団が医療活動を行っている世界の都市(マルタ騎士団のホームページより)


今のマルタ騎士団総長


本日はすこし短めですが、これで終わりです。
次回(第15回)は、「異端カタリ派とアルビジョワ十字軍」です。



★今回は、出席調査を兼ねて、小レポートを提出していただきます★
第10回~第14回の授業の内容について、自分がその中で一番印象に残ったことや、重要だと思ったことは何か、そしてそこに、できれば自分の意見や感想なども付け加えて、300字以上~400字くらいまでで書いてメールで提出(送信)して下さい。
ワードなどのファイルを添付するのではなく、
メール本文に直接書いて下さい
メールのタイトルには、必ず授業名、学生証番号、氏名を書いて下さい。例えば次のようにして下さい。
 (例)メールタイトル
戦争と文明/5BPY1234/東海太郎

提出(送信)締切りは、
6月14日(月)の22時までとします。

メールアドレスは、nakagawa@tokai-u.jp です。
「@」の次は、「tokai-u」です。「u-tokai」ではないので注意して下さい。

※出席調査を兼ねたこのような小コメントの提出は、あと1回ほど予定しています。
 一番最後に「最終レポート」を提出(送信)してもらいます。

次回は、6月7日(月)の午前中(11~12時頃)に、第15回目の授業内容を
このサイトにアップします。
 
http://wars.nn-provence.com/ にアクセスして下さい。

□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【本日の授業に関する参考文献】
石川明人『キリスト教と戦争-「愛と平和」を説きつつ戦う論理』中公新書、2016年。
新人物往来社編『ビジュアル選書/十字軍全史-聖地をめぐるキリスト教とイスラームの戦い』
                                新人物往来社、2011年。
橋口倫介『十字軍-その非神話化』岩波新書、1974年。
橋口倫介『十字軍騎士団』講談社学術文庫、1994年。
山内進『十字軍の思想』ちくま新書、2003年。
山内進『北の十字軍-「ヨーロッパ」の北方拡大』講談社、1997年。
ジョルジュ・タート『「知」の再発見双書30/十字軍-ヨーロッパとイスラム・対立の原点』
                            池上俊一監修、創元社、1993年。
ニコラス・ベスト『秘密結社テンプル騎士団-謎に包まれた聖地の守護者』
                         五十嵐洋子訳、主婦と生活社、1998年。
テレンス・ワイズ『十字軍の軍隊』桂令夫訳、新紀元社、2000年。
テレンス・ワイズ『聖騎士団-その光と影』稲葉義明訳、新紀元社、2001年。
FRIZOT, Julien, Les grands sites templiers en France, Ouest-France, 2005.
HUCHET, Patrick, Les Templiers de la gloire à la tragédie, Ouest-France, 2002.
KENNEDY, Hugh, Crusader Castles, Cambridge UP, 1994.
LEBÉDEL, Claude, Les Croisades, XIe-XIIIe siècle, Ouest-France, 2016.
Histoire antique et Médiévale, no.41, 2014-12.
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


オンライン授業「ヨーロッパの戦争と文明」の最初のページに戻る









中川研究室ホームページ/TOPページ