オンライン授業/ヨーロッパの戦争と文明

第8回・ローマ軍の軍制とローマ軍のイメージ         
(※画像がうまく読み込まれない場合は、再読み込みすると表示されると思います)


本日は、古代ローマ軍の軍制と、歴史の中のローマ軍のイメージについてついて取り上げます。

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【年表】
紀元前272年 共和政ローマ、イタリア半島を統一。
紀元前149年 第3次ポエニ戦争(~146年)。カルタゴ滅亡。
紀元前107年 執政官マリウスの軍制改革
紀元前58年  カエサルのガリア征服戦争(~紀元前51年)
紀元前27年  オクタヴィアヌス、アウグストゥス(尊厳者)として、
       事実上の帝政を開始(前期帝政)。
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古代世界において、ローマ軍はおそらく世界最強の軍隊であり続けました。
多くの国家や部族において、軍は多かれ少なかれ、雑多な兵士たちの寄せ集め的な性格が強く、
有力な族長たちや貴族たちがそれらの兵士たちをかき集め、命令し、突撃させていました。
古代ギリシアからアレクサンドロスの時代に、「方陣」という形で兵士たちを編成し、
戦場において機動させるということが行われました。

ローマでは、そうした兵士の組織化と管理・運用方式が高度に発達することになります。
大規模な兵士の組織化と合理的な部隊編成・役割分担、そして鉄の規律と命令系統の貫徹、
厳しい訓練、武具や防具の標準化などは、ローマ軍において実現し、発達します。
まるで近代の軍隊のプロトタイプです。


1.王政期~共和政前期                          
ローマ軍は、複数の部隊に分割された大きな「軍団」(レギオ)という形を取っていました。
「軍団」(レギオ)は、ローマ市民権を持つ兵士から構成され、
およそ10個の大隊(コオルス)からなり、1個大隊は3個の中隊(マニプルス)からなりました。
さらにこの中隊(マニプルス)は2個の「百人隊」(ケントゥリア/Centuria)
によって構成されていました。
この「百人隊」(ケントゥリア)は、現在の軍隊で言うところの「小隊」にあたります。
日本語訳では読んで字のごとく100名の兵士からなる部隊であるかのように思われますが、
実際に「百人隊」を構成したのはおよそ60名~80名でした。
この「百人隊」を指揮したのが、有名な
「百人隊長」(ケントゥリオ/centurio)です。
 
    ↑ 
ローマ軍の百人隊長(ケントゥリオ)↑


百人隊長は、百人隊の部隊の中で選挙で選ばれたと言われています。
百人隊の管理、訓練、指揮に大きな責任を持ち、実際の戦闘では部隊の先頭に立って戦いました。
そのため戦場での戦死率は高かったと言われていますが、そのぶん栄誉もあり、
ローマ社会の中では敬意を払われた存在でした。
経験年数とともに同じ百人隊長でも格が上がっていき、
中隊(マニプルス)や大隊(コオルス)の指揮官にもなりました。
ちなみに「百人隊長」(ケントゥリオ)の軍装は、一般の兵士よりも立派で、
目立つ羽飾りの付いた兜、胸には勲章が並び、短剣は左側の腰に下げたようです(一般兵士は右側)。

一方、軍団の司令官は多くの場合
元老院議員で、いわばローマの支配階級の人間たちでした。
なかでも
執政官(コンスル)は、普通は2個軍団を指揮しました。

一般の兵士は、ローマの市民権を持つ者で、召集されて軍団兵を構成しました。
ローマ市民権を持つということは、資産を持つ市民階級で、その多くは中小の土地所有農民でした。
兵役は、農地などの資産を持つローマ市民の義務だったのです。
資産を持たない無産市民は兵役を免除され、もちろん奴隷なども兵士にはなりませんでした。
こうしたことは。ギリシアの都市国家の場合と同じです。


                 ローマ軍の軍団構成(共和政中期まで)



2.共和政後期~マリウスの軍制改革                        

さて、紀元前107年に執政官となったマリウスは、軍制改革に取りかかります。
その頃までに、兵士の質が下がり、ローマ軍の弱体化が進行していたのです。

ローマがイタリア半島の内部にとどまっていたうちはさほど問題にならなかったことなのですが、
紀元前3世紀にカルタゴとの間で戦われたポエニ戦争あたりから、
ローマはイタリア半島の外へと支配領域・領土を広げていきます。

強力なローマ軍の力によって、領土が増えていくわけです。
戦争に勝つと、当然そこから獲得される奴隷の数も増えます。

獲得した新たな領土では、ローマの大地主や貴族たちが、これまた戦争に勝って
手に入れた大量の奴隷を用いて、
大規模土地経営(ラティフンディウム)を進めました。
奴隷には労働に対する賃金を支払う必要がありません。
粗末な住居と、生きていくのに必要な程度の食料を与えておけばいいのです。
つまり、「タダで死ぬまでこき使う」ことが可能なのです。
そうして広大な土地で大量の農作物を生産するわけです。

そうやって生産された農作物や加工品は、当然ながらとても「安い」わけです。
労働力は実質タダなんですから。
一方、ローマのもともとの中小土地所有農民が、自分たちの少ない労働力で
小さな農地で生産するものは、当然のことながら価格が「高く」なります。

タダ同然で作られた大量の安い生産物が、ローマ本国やイタリアに流入してくると、
ローマの中小土地所有農民が生み出す生産物は、とても太刀打ちが出来ません。
彼ら中小土地所有農民の自己経営は圧迫されます。
さらに彼ら中小土地所有農民たちは、資産(土地財産)を持つ市民として、
徴兵され従軍しなければなりません。
戦争による農家の主の長期不在は、やはり中小土地所有農民の農地の荒廃を招きました。

こうして資産・財産が減少したり、土地を手放して
無産市民化する農民が増加したのです。
資産・財産を少ししか持たない(あるいはまったく持たない)無産市民は、兵役を免除されます。
こうして徴兵できるローマ軍の兵士の数が、どんどん減っていったわけです。

ローマは当初、徴兵の資産下限を切り下げて、兵員確保をねらいました。
しかし財産・資産を少ししか持たない兵士たちは、最初から士気が低く、
兵士の質も低下しました。
「なんで財産の少ないオレたちが、ローマのために戦って死ななければならないのか?」
みたいな感じですね。


これを何とかしなくては、と執政官マリウスが軍制の改革を行ったわけです。

①まずマリウスは、徴兵制を
志願制に変えました。
そして兵士に
給与が支払われることになりました。
つまりローマ軍の兵士は、
「義務」から「職業」になったのです。
これは「失業者の吸収」と、「長期間の兵の使用」を可能にする一石二鳥の方策でした。

②武器・武具は、自前で用意する必要がなくなり、
支給品となりました。
財産が少ない者でも、武具が支給されるのです。
しかも一人一人バラバラの軍装ではなく、全員が
標準化・統一化されることになりました。
見た目の統一感も、ローマ軍の規律と統制と言う意味では重要なことでした。

③資産によって区分されていた第一列~第三列という戦列構成がなくなりました。
マリウス以前には、第一列は若者たちでしたが、
最も最前列には、十分な資金がなくて重装備ができない者が配されていました。
マリウス以後は、財産による列の構成はなくなりました。

④執政官が動員・指揮できる軍団数の制限が撤廃されました。
このことによって、軍団を指揮する
最高司令官の権力が増大しました。

⑤軍団内部の将官・幕僚幹部などは、
総司令官の任命によるものとなりました。
これによって、幕僚幹部たちは、総司令官に対する
個人的な忠誠を尽くすようになりました。

⑥兵士には退役後に、
年金や土地が与えられるようになりました。
その際の土地は、最高司令官が、征服した属州の土地を配分することが多かったのです。
そうした恩義に報いようと、兵士たちはますます
総司令官に忠誠を尽くすことになります。
このことは言い換えると、軍団が
最高司令官の「私兵」と化してゆくことを意味しました。
カエサルなどはこうしたことを最大限に利用したと言えるでしょう。

⑦最期に、ローマ市民兵とローマ同盟都市兵の差がなくなりました。

今や、ローマ軍は、職業的兵士からなるプロフェッショナルな軍団に生まれ変わりました。
規律と統制、組織力はさらにグレードアップされることになります。



                    ローマ軍の軍団構成(共和政後期から)


3.ローマ軍のイメージ                         

こうしたローマ軍です。そのイメージはやはり、
鉄の規律と統制、組織力のシンボルとして受け継がれてきました。
しかも紀元前1世紀後半から帝政期に入ると、いわゆる「ローマ帝国」の時代です。
「強大な帝国による支配」という恐ろしいイメージが出来上がります。
もちろん紀元1世紀の「ローマの平和」をもたらしたのもこの帝国でした。
しかし、強大な帝国が弱小の原住民を押しつぶし支配する、というイメージは拭いきれません。
しかもその強大な帝国を実現し、支えたのはやはり古代世界最強とうたわれたローマ軍でした。


そうした規律と統制を維持するために、ローマ軍には兵士たちを縛る罰則もありました。
規律維持のために行われた
「十分の一刑」は有名です。
命令違反や反乱、敵前逃亡などを犯す兵士が出た部隊において、
10人に1人がくじ引きで処刑されたのです。連帯責任の権化みたいな刑罰です。
そうした処罰があったということもまた、
「ローマ軍イコール恐ろしい」というイメージを生み出すことにつながったと言えるでしょう。

こうしてローマ軍は、帝国軍として、後世においてしばしば強力な「悪役」として
語られたり描かれたりすることになります。
これほど悪者として描かれる軍隊は、ローマ軍の他には現代のナチス・ドイツ軍くらいでしょうか。
ただしローマ軍の場合はどちらかと言うと、
「規律・秩序・統制」のイメージが強く、
ナチス・ドイツ軍の場合は、ホロコーストの記憶が強すぎるからか、
端的に「悪」として描かれることが多いようです。

しかしローマ軍の場合は、まず何よりも、
規律・統制・組織力のシンボルとして
表現されることが多いと言えるでしょう。
中隊や大隊に分かれ、規律正しく隊列を組んでザッザッザッと行進する、というイメージ。
下の画像は、スタンリー・キューブリック監督、カーク・ダグラス主演で
1960年にアメリカで製作された
映画『スパルタカス』の1シーンです。
スパルタカス率いる奴隷の反乱軍を制圧すべく、平原の向こうから隊列を組んで
こちらに向かってくるローマ軍です。
このスパルタカス(スパルタクス)の奴隷反乱は、紀元前73~71年に実際に起きた実話です。
10万以上の反乱軍が、最終的にはローマ軍によって全滅させられました。


映画『スパルタカス』(1960年、アメリカ)

このシーンは、規律と統制と組織力の権化としての古代ローマ軍の描写としては、
典型的なものと言えるでしょう。
Youtubeで見ることができます。
ぜひこの動画(約4分)を見てみて下さい。
一方には、数は多いけれど、ただ無秩序に集まっただけの反乱軍がおり、
それに対して整然と隊列を組んで行進するローマ軍が、ザッザッザッとこちらに向かってきます。
反乱軍の兵士たちは、自分たちに向けて迫ってくるローマ軍を息を飲んで見ています。
この場面は、広大な平原で撮影されたものですが、ものすごい数のエキストラを使って撮影されています。
https://www.youtube.com/watch?v=fNkbgRBlLj0



こうしたローマ軍のイメージは、映画の世界でもさまざまな作品で繰り返し描かれます。
雑然と無秩序に集まった反乱軍と、整然と隊列を組んでそれを粉砕しようとする
ローマのような権力側の軍という構図です。
SFの『スターウォーズ』の中にまで、それが現れます。
もちろん『スターウォーズ』の場合は、ローマ軍の役割を演ずるのは
悪役の通商連合軍(後に銀河帝国軍に吸収される)ですが。

『スターウォーズ、エピソード1/ファントム・メナス』(左には反乱軍、右側は権力側の通商連合軍)


同じような対決の構図は、なんと近代日本を舞台にしたトム・クルーズと渡辺謙主演の
アメリカ映画『ラスト・サムライ』(2003年)にも見られます。
渡辺謙演じる勝元と、トム・クルーズ演じるオルグレン大尉が
一見無秩序に集まったサムライ集団を率い、
その反乱軍を近代化された明治新政府軍が攻めます。
ここで隊列を組んで反乱軍に向けて行進する明治新政府軍は、
まさしくローマ軍のイメージそのものです。

映画『ラスト・サムライ』(2003年)
(画面には見えないが、右手の方に明治新政府軍に立ち向かう渡辺謙とトム・クルーズが率いる反乱軍がいる)


軍隊が多くの国で大規模に整然と隊列を組んで行進するようになるのは、近代以降のことです。
そして現代の軍隊はどこでもそうやって行進しています。
しかし、こうした規律と秩序と組織力を誇る軍団というものを明確な形で生み出したのは、
今から2000年前の古代ローマ軍だったのです。
ローマ軍のディシプリンは、今の時代にも脈々と受け継がれているのです。


本日はここまでです。
次回(第9回)は、最果ての地ブリタニア(イギリス)のローマ軍についてです。


 今回は、小レポートやその他の提出物などはありません。

※次回の小レポートの提出は、第9回目の授業が終わったところで予定しています。

次回は5月13日(月)の午前中(11~12時頃)に、第9回目の授業内容をこのサイトにアップします。
 
http://wars.nn-provence.com/ にアクセスして下さい。


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【第8回(本日)の授業に関する参考文献】
馬場恵二『ビジュアル版世界の歴史3/ギリシア・ローマの栄光』講談社、1984/1989年。
村川堅太郎編『世界の歴史2/ギリシアとローマ』中公文庫、1974/1989年。
吉村忠典編『世界の戦争 (2) ローマ人の戦争―名将ハンニバルとカエサルの軍隊』講談社、1985年。
ゴールズワーシー『図説・古代ローマの戦い』遠藤利国訳、東洋書林、2003年。
サイドボトム『ギリシャ・ローマの戦争』吉村忠典・澤田典子訳、岩波書店、2006年。
マティザック『古代ローマ帝国軍・非公式マニュアル』安原和見訳、ちくま学芸文庫、2020年。
『歴史群像アーカイブ/No.04/西洋戦史-ギリシア・ローマ編』学習研究社、2008年9月。
レッカ社『図解/古代ローマ軍 武器・防具・戦術大全』カンゼン社、2013年。
BROMWICH, James, The Roman Remains of Southern France, Routledge, 1996.
DRINKWATER, J. F., Roman Gaul, The three provinces, 58 BC-AD 260,
                              Cornell UP, Ithaca, 1983.
HATT, J. J. , Histoire de la Gaule romaine(120 avant JC. -451 après J.-C.), Payot, 1970.
KING, Anthony, Roman Gaul and Germany, British Museum Publications, London, 1990.
MOUREY, Émile, Histoire de Bibracte, Le Bouclier Éduen, 1992.
REDDÉ, Michel, dir., L'Armée romaine en Gaule, Errance, 1996.

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