ヨーロッパの戦争と文明
第6回(4月29日・木曜3限)/ハンニバルとカンナエの戦い(前半)
(※ページの画像がうまく読み込まれない場合は、再読み込みするとちゃんと表示されると思います)
本日は、アルプスを越えたハンニバルが、
イタリアに入ってからローマと行った2つの戦いを取り上げます。
1つ目(前半)は「トラシメヌス湖畔の戦い」(紀元前218年6月)
2つ目(後半)は「カンナエ(カンネー)の戦い」(紀元前216年8月)
です。とりわけ有名なのは、2つめの「カンナエの戦い」です。
ハンニバルは、完璧な包囲作戦により、ローマ軍を壊滅させます。
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【年表】
紀元前272年 共和政ローマ、イタリア半島を統一。
紀元前264~241年 第1次ポエニ戦争。
紀元前218年 第2次ポエニ戦争(ハンニバル戦争)開始(~201年)。
ハンニバル、アルプスを越えてイタリアに侵入。
トレビアの戦い(12月・ハンニバルの勝利)
紀元前217年 トラシメヌス湖畔の戦い(6月・ハンニバルの大勝、ローマ軍大敗)。
紀元前216年 カンナエ(カンネー)の戦い
(8月・ハンニバルの大勝、ローマ軍歴史的大敗)。
紀元前202年 ザマの会戦(スキピオ、ハンニバルを破る)。
紀元前149~146年 第3次ポエニ戦争。カルタゴ滅亡。
紀元前58年 カエサルのガリア征服戦争(~51年)
紀元前52年 カエサルのアレシア攻囲戦。全ガリア、ローマの属州となる。
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①トラシメヌス湖畔の戦い(紀元前217年6月)
紀元前218年10月にアルプスを越えたハンニバルは、イタリア半島北部の今のトリノから
さらに東進し、今のピアチェンツァの近郊、トレビア川の戦いでローマ軍を破ります。

トレビアの戦いに勝利したハンニバルは、さらに今のフィレンツェ方面へと
イタリア半島を南下して行きます。
ローマ側では、トレビアの戦いでハンニバルに敗北した執政官コルネリウス・スキピオと
センプロニウス・ロングスに代えて、新たにガイウス・フラミニウスと
グナエウス・セルウィリウス・ゲミヌスを執政官に選び、
急いで4個軍団5万名の兵士を編成しました。
ローマ方面に向けて南下してくるハンニバルを何とか迎え撃たなければならないのですが、
どのルートを通って南下してくるのか分からなかったので、
ローマを出たフラミニウスとセルウィリスが、二手に分かれて進みました。

ローマ軍が二手に分かれて向かってくることを知ったハンニバルは、
フラミニウスとセルウィリウスが合流するか、
あるいは東西からこちらを挟み撃ちにして来る前に、
まずはフラミニウスのローマ軍をたたいておこうと考えます。
そして今のペルージャの西にあるトラシメヌス湖で、フラミニウスの軍を待ち伏せします。
フラミニウスの方は、セルウィリウスに、自軍に合流するように要請するとともに、
ハンニバルのカルタゴ軍がいると思われたペルージャに向かいます。
これはハンニバルの思うつぼでした。

次の地図は、トラシメヌス湖の拡大地図です。
ハンニバルは先にこの湖に到着し、待ち伏せのための布陣をします。
そうとは知らずに、西の方から執政官フラミニウスの率いる2個軍団25000がやって来ます。
そして紀元前217年6月21日の朝、湖沿いの北側の狭いルートを通って東へ向かおうとします。

ちょうどこの日の朝は、霧が濃くて、ローマ軍からは待ち伏せしているカルタゴ軍が
よく見えなかったと言います。
待ち伏せしてローマ軍を襲うハンニバルの布陣は下の地図のように、
湖北岸の一番東側に、強力な重装歩兵部隊を置いて、
東に向かおうとするローマ軍の頭を押さえてブロックします。
前に進めなくなって進軍が止まったローマ軍の戦列は、東西に横に長く延びています。
そこに、北(地図の上)から、軽装歩兵とガリア兵の部隊が襲いかかります。
ガリア兵とは、ハンニバルがピレネーやアルプスを越えた時に、
ローマに対抗するために、カルタゴ軍に合流したガリア部族の兵たちです。

赤がカルタゴ軍、青がローマ軍。
前に進めなくなったローマ軍の長い(厚みのない)戦列の後から、
つまりローマ軍の西側から、今度はカルタゴのこれもまた強力な騎兵部隊が突撃します。
こうなるともうローマ軍は袋のネズミですね。
前には進めない、後にも引けない。
前後を完全にふさがれた形で、ローマ軍は大パニックに陥ります。
そしてあっという間に壊滅しました。
カルタゴ軍の攻撃から逃れて逃亡できたローマ兵の数は、およそ5000~6000で、
戦死者は15000でした。指揮官のフラミニウスも戦死しました。

フラミニウス ガリア人に首を切られるフラミニウス
一方、カルタゴ軍の側の戦死者は1500~2000程度であったと言われています。
ローマ軍の10分の1くらいです。
しかし、数千のローマ兵が逃亡できたので、完璧な包囲戦というわけではありませんでした。
ハンニバルは、この次はそれを完璧なものにしようと心に誓ったのでした。

現在のトラシメヌス湖畔。紀元前217年、ここでハンニバルがローマ軍に勝利した。
第6回目の授業の「前半」はここまでです。
「後半」は、ハンニバルによる史上まれに見る完璧な包囲戦とも言われる
カンナエの戦い(紀元前216年8月)についてです。
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