ヨーロッパの戦争と文明/第05回(4月26日・月曜3限)
           ポエニ戦争とハンニバルのアルプス越え(前半)   
(※ページの画像がうまく読み込まれない場合は、再読み込みすると、ちゃんと表示されると思います)


今回と次回は、紀元前3世紀に古代ローマとその宿敵カルタゴが戦った
「ポエニ戦争」について取り上げます。
とりわけローマの歴史上、
最強の宿敵とも言われるカルタゴの将軍ハンニバルに登場していただきます。


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【年表】
紀元前272年    共和政ローマ、イタリア半島を統一。
紀元前264~241年  第1次ポエニ戦争。
紀元前218年    第2次ポエニ戦争(
ハンニバル戦争)開始(~201年)。
          ハンニバル、
アルプスを越えてイタリアに侵入。
紀元前217年    トラシメヌス湖畔の戦い(ハンニバルの大勝、ローマ軍大敗)。
紀元前216年    カンナエ(カンネー)の戦い(ハンニバルの大勝、ローマ軍大敗)。
紀元前202年    ザマの会戦(スキピオ、ハンニバルを破る)。
紀元前149~146年 第3次ポエニ戦争。カルタゴ滅亡。
紀元前58年     カエサルのガリア征服戦争(~51年)
紀元前52年     カエサルのアレシア攻囲戦。全ガリア、ローマの属州となる。


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①第1次ポエニ戦争(紀元前264~241年)           
都市国家から出発したローマは、近隣の他の都市国家を次々と支配下に置きながら、
紀元前272年にはイタリア半島を統一します。
この時点で、地中海の制海権ならびにシチリア島の覇権を巡って、
北アフリカに本国のあったカルタゴとライバル関係に入り、
しばしば衝突するようになります。



紀元前264年にローマとカルタゴの第1次ポエニ戦争が始まった時点の
それぞれの勢力地図は上の通りです。
ローマはイタリア半島を統一したばかりですが、
カルタゴは現在のチュニジアのチュニス近郊に本国を置き、
北アフリカからイベリア半島(スペイン)南部、そしてコルシカ島、サルディニア島、
そしてシチリア島の大半を勢力圏に収めていました。

カルタゴは地中海西部を勢力下に置いていた海洋国家なので、本拠地のチュニスにも
商船や軍艦が停泊する丸い大きなドックが作られていました。

  
カルタゴの軍港                 カルタゴのタニト神

カルタゴという国は、
なかなかユニークな文化も持っていたようです。
とりわけ
「タニト神」信仰がそうです。
「タニト」とはカルタゴで最も崇拝された女神で、
母なる神であると同時に、冥界(死後の世界)の神でもあり、
生と死を司ったものでした。
上の写真(右)のように、水平線で区切った下には大きな三角形、
上には丸い円と三日月のような半円形がのります。
丸い帆を持った人間のような形にも見えますね。
下の画像は、2009年に日本で開催された「古代カルタゴとローマ展」のパンフレットです。
豪華な彫刻で装飾された金属製の胸当てなども展示されました。


さて、紀元前264年、第1次ポエニ戦争が始まります。
戦いの舞台は、イタリア半島の南にある
シチリア島です。
この時代、シチリア島の東半分(あるいはそれ以上)は、カルタゴの支配下にありました。
ローマからすれば、イタリアの目と鼻の先にあるシチリア島が
カルタゴに押さえられているというのは許容できないものとなっていました。
またシチリア島は豊かな穀物生産地であって、
ここを支配下に収めることは、ローマにとっても食糧供給という点から見て、
非常に重要な意味を持っていたのです。


上の地図はシチリア島です。この地図の円で囲った都市のうち、
赤い円で囲ったパレルモ、アグリジェント、シラクーサがカルタゴ派で、
このうち右下のシラクーサが、右上のメッシーナを攻撃したのです。

メッシーナはイタリア半島とすぐ近かったこともあって、ローマと同盟関係にありました。
攻撃を受けたメッシーナはローマに援軍を要請。
困ったものを助けるという大義名分をここぞとばかりに、
ローマはシチリアに派兵します。
そしてあっという間にシラクーサを攻略してしまいます。

これに危機感を抱いたカルタゴは、
ハミルカル・バルカ将軍をシチリアに送り、
ここにカルタゴとローマは全面戦争になります。
このハミルカル・バルカ将軍の息子が、後で出てくるローマ最大の宿敵ハンニバルなのです。

さて、シチリアを巡る戦いで、ローマは最初は海上戦で不利な戦いを続けますが、
陸上戦ではカルタゴ軍を撃破して、北アフリカにまで上陸します。
しかし紀元前255年、逆にここで大敗北を喫してしまいます。

このように戦いは一進一退を続けるのですが、
結局、紀元前241年、エガーティ諸島での海戦(上の地図の青い矢印のところ)で
ローマ側が大勝利を収めます。
カルタゴは非常に不利な講和条約を結ばされ、巨額の賠償金と支払うと共に、
シチリア島およびその周辺の海上支配権を失います。

かくしてシチリア島はローマのものとなり、
ローマの支配する初めての属州となりました。


第5回目の授業の「前半」はここまでです。
「後半」は、いよいよハンニバルの登場となります。


  →第5回 ポエニ戦争とハンニバルのアルプス越え(後半)に続く

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