ヨーロッパの戦争と文明/第2回(4月14日・木曜3限)/古代ギリシアとペルシア戦争(前半)
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①古代ギリシアのイメージ                     
本日から「戦争と文明」の古代編を開始します。
まずは古代ギリシアとペルシア戦争についてです。
皆さんが古代ギリシアというと、抱くイメージは、アテネのアクロポリスの上に建つ
パルテノン神殿とか、ゼウスやアポロンが登場するギリシア神話の世界とかではないでしょうか?

  

古代ギリシア文明の最盛期は、紀元前400年代です。
今からはるか2400年以上前の話ですね。
古代ギリシア文明は、その後、古代ローマ文明に受け継がれ、中世をへて
近代ヨーロッパ文明へと続く流れの源流として、実に多くのものを今日にまで残しています。
図で簡単に表すと次のような感じです。



現代のわれわれが、古代ギリシア文明から受け継いだものとしては、例えば
「市民」の意識と民主政治の伝統、真理を追究する学問・思想・哲学
数学、天文学、医学などの科学、そして建築、芸術、文学の伝統などがあります。
特に重要なのは、一番最初の《「市民」の意識と民主政治の伝統 》が挙げられます。

ひとくちに「ギリシア」と言っても、
「ギリシア」という一つの国家があったわけではありません。
一つ一つの都市がそれぞれ、一つの国家を作っていました。
これを「都市国家」(ポリス)と言います。
アテナイ(アテネ)とかスパルタとかコリントスとか。
日本で言うと、横浜とか町田とか厚木とかが、
それぞれ一つの国家を作っているようなものですね。
古代ギリシアとは、こうした都市国家が集まった、
いわば
都市国家連合のようなものなのです。

都市国家によってそれぞれ多少事情は異なりますが、
多くの都市国家で、民主政治のシステムが取り入れられていました。
典型的なのは
アテナイ(アテネですね。


実際、高校世界史の教科書などでは次のように書かれています。

「紀元前5世紀のなかばころ、将軍ペリクレスの指導のもとでアテネ民主政は完成された。
そこでは成年男性市民の全体集会である民会が多数決で国家の政策を決定し[……]
一般市民から抽選された任期1年の役人が行政を担当した。
裁判は、やはり抽選された多数の陪審員が、民衆裁判所において投票で判決をくだした。
市民は貧富にかかわらず平等に参政権をもち、
できる限り多くの市民が政治に参加することを求められた。
[……]
民主主義という考え方を世界ではじめてうみだした点で、
ギリシア民主政の世界史的意義は大きい。
」(『詳説世界史B』山川出版社 )

なんだか、古代ギリシアって民主主義の源流みたいで、とっても素晴らしいイメージですね。

(アテナイ/アテネ)


でも実際は、古代ギリシアの都市国家の「市民」というのは、
成年男子のみで、しかも両親ともに市民であり、土地と家屋を所有する特権を持つ者です。
自分の部族区において市民権を登録し、30歳で参政権を持ちます。
古代ギリシア社会における「市民」とは、
土地財産を持つ、せいぜい全人口の1割か2割くらいの
「成年男子」だけのことなのです。

都市国家(ポリス)の人口のその他多くを占める、女性、子供、外国人、
そしてすごく数の多かった奴隷たちは、この「市民」の中には含まれません。
こうした人々には基本的人権も、政治的権利も何もありません。
古代ギリシアの「市民」たちは、いわば一部の特権階級ですね。

しかしこの一部の「市民」たちの中だけに限った話ではあるけれども
その中では民主政治が行われていたことになります。

そしてこの「市民」たちこそが、まさしく
「重装歩兵」として戦争に参加したわけです。


②古代ギリシアの重装歩兵                    

もともとギリシアのポリス(都市国家)の防衛にあたっていたのは、
高価な武器と馬を調達できる、経済的に富裕な貴族層でした。
しかし紀元前8世紀後半頃から平民である農民層の経済的な上昇が見られ、
武器を自分たちで調達できる富裕な平民たちが
重装歩兵(ポプリテス)として
戦闘に参加するようになりました。

重装歩兵の装備は、ホプロン(円形の盾)、胸当て(胴鎧)、スネ当て、カブトなどです。
武器は長さ1.5~2.5メートルの突き槍でした。

次の絵は、古代ギリシアの陶器に描かれた重装歩兵です。防具を身につけ、
槍(ヤリ)を持ち、家族に出陣のための別れのあいさつをしているように見えます。
「では行ってくるぞ、武運を祈ってくれ、オレに何かあったらあとはよろしく頼む」
みたいな感じでしょうか。



次の絵も、やはり古代ギリシアの壺に描かれている兵士ですが、
こちらはカラダの部分はスッポンポンですね。
神話的な世界を描いているので、実際にホントに裸で戦ったのかどうかはよく分かりません。

紀元前7世紀くらいまでは、戦闘は隊形や戦略をほとんど用いず、
個々の強い戦士や英雄たちが、個人対個人の戦い(一騎打ち)を繰り広げる姿が見られました。
本当に英雄たちがスッポンポンで個人同士の戦いを繰り広げたのかも知れません。
次の画像は映画『トロイ』でブラッド・ピットが演ずる英雄アキレスです。
敵との一騎打ちに向かう場面。「ブラピ」ファンにはたまらない場面かも知れませんね(笑)。

(映画『トロイ』より)

紀元前7世紀以降は、英雄による一騎打ちは陰を潜め、
重装歩兵による密集隊形・密集方陣(ファランクス)が組まれるようになりました。
先にも触れたように、兵士たちは、自分で武具や武器を用意できる、
財産を持った「市民」たちからなりました。
この戦う市民たちが平等主義に基づいて軍隊を構成しました。
自分たちが属する都市国家(ポリス)に対する強い愛国心・強い共同体意識で団結していました。

攻撃は重い甲冑に身を固めて何列かの横隊を組んだ
槍兵による突撃が行われました(剣はあくまでも予備的な武器でした)。
密集隊形・密集方陣(ファランクス)のイメージは次のような感じです。
縦と横に何列も組んだ隊列が、ひとかたまりとなって、
ザッザッザッと前に進んでいくわけです。
こうした方陣がいくつも作られて、ポリスの軍団が編成されました。

 

(密集方陣・ファランクスのイメージ。前(上)に向けて前進していきます)

こうした密集方陣(ファランクス)では、
基本的には正面の横列を強固に固めて、敵につけいる隙を与えないようにしました。
正面横列の一人が倒れたときには、縦列のすぐ後ろにいる者が前に進み出て、
正面の横列を維持しようとしました。

ただし、少し考えれば分かると思いますが、
こうした密集隊形による戦いは広い平地でなければ不可能でした。
狭い谷とか山地とかでは、大きな密集隊形を組んで進むことはできませんね。


第2回目の授業の「前半」はここまでです。
「後半」は、ギリシアとペルシア帝国の戦いである「ペルシア戦争」の話になります。

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